『モーセ(彼に平安あれ)は如何にして羊飼いの祈りを批判したか』

『羊飼いの祈り』冒頭部分、全体の約1/3です。『精神的マスナヴィー』2巻1720行から1749行まで。

路の途上でモーセが羊飼いに出会った。羊飼いはこのように祈っていた。
「神よ、選ばれたる御方のうち最も選ばれたる御方よ、どこにおられますか?
それさえ知れば、すぐにもおそばに駆けつけてお仕え致しましょう、
あなたに靴をこしらえて、髪をくしけずって差し上げましょう。
あなたのお召し物をきれいに洗って差し上げましょう、
シラミがいれば退治して差し上げ、ミルクを温めて差し上げましょう、
あなた以上にお仕えしがいのある御方もいらっしゃいますまい。
あなたの小さな御手にくちづけし、小さな御足をさすって温めましょう。
そしておやすみの時間が来たら、小さな寝室を掃き清めて差し上げましょう。
私の山羊を、すべてあなたに捧げましょう。
愛しい御方、あなたを思うといつでも涙がこぼれます」
言葉は愚かではあるものの、
羊飼いはそれらを賢く繋ぎ合わせて祈りとしていたのである。
「一体誰に向かってものを言っているのか?」モーセは言った。
「私たちをお創りになられた御方です」羊飼いは答えた、
天と地とを顕わされたあの御方です」
「ばかばかしい!」モーセは言った。
「おまえはムスリムではなく不信の徒となった、これを堕落と言わずして何と言うか?
何とまあ良くしゃべる口か!何たる冒涜、何たる愚劣!
おまえの口など、綿でも詰めておけば良い!
おまえの吐いた涜神の言葉は、世界中に悪臭をまき散らし、
宗教の絹の衣をぼろ布に変えてしまった。
靴だの、靴下だのはおまえには似つかわしかろうが、
太陽たる御方が、そのようなものを必要とされるはずもない。
下劣な言葉を吐き出すのをやめぬ限り、
やがておまえの喉元は炎を吹き出して、人々を焼き滅ぼしてしまうだろう。
炎でないとするならば、たちのぼるこの煙は一体何だというのだ?
おまえの魂は真っ黒に焦げ、おまえの思慕は神に拒絶されているではないか。
知っての通り、神こそは審判を下される御方。
そうであれば、おまえもいつまでも下世話な繰り言に執着していて良いはずがない。
無知な友こそ真の敵、とは全く良く言ったもの。
いと高き神は、おまえの考えるような奉仕を必要とはされておらぬ。
さて、一体誰に向かってものを言っているのか?
父方の伯父か、それとも母方の伯父か?
肉体と、その欲するところなど、栄光の主と何の関わりがあろう?
ミルクを欲するのは、小さく生まれ出て、やがて大きく成長する者のみ。
靴を欲するのは、足で歩く者のみ。
仮におまえの言葉が、神に仕える者に向けられたものとしても、
神と神に仕える者が同等であるはずもなかろう。
(神が)「彼は私、私は彼」と言い、
「私が病のとき、彼は見舞いに来ない」などと言うはずもなかろう、
病人が二人ではどちらがどちらを見舞うのか。
見るも聴くも一人では、何の役にも立ちはしない。
(おまえの)愚かしい繰り言では、神に仕える者にも至らない。
唯一の神について不遜な言葉で語れば、
その心は滅ぼされ、行いの記録も黒く塗りつぶされることだろう。
たとえ男と女とが同じひとつの種であったにしても、
おまえが男に向かって「ファティマ」と呼びかければどうなるだろう。
よほど善良で、辛抱強くもの静かな男でもない限り、
可能なら、男はおまえを殺そうとさえするだろう。
手だの足だのは我ら人間に属することであり、
聖なる上にも聖なる神を讃えるのには害になる。
ふさわしいのは、「彼は生まず、生まれず」という言葉。
彼こそは、生み、生まれる者を創造なさった御方。
誕生とは、すなわち肉体を持つ者に属する性質、
川のこちら側に生まれる者に課された性質。
誕生と同時に、世界は死と腐敗とに向かって、やがては儚く消え去るもの。
この世界には確かに始まりがあり、それを創始した方をこそ神と呼ぶのだ」
彼(羊飼い)は言った。
モーセよ、あなたは私の口を封じてしまった、
私の魂を悔悟の炎で燃やし尽くしてしまった」
彼は着ていたものをかきむしって身悶え、ためいきをひとつついた。
それから砂漠の方向へとその顔を向け、早足で去って行った。


「彼は生まず、生まれず」というのは、コーラン112章からの引用ですね。
今晩はここまで。おやすみなさい、良い夢を。