ルーミーと宗教
タルサに非ず、ヤフードに非ず。
ガブルに非ず、ムスリムに非ず。
果してルーミーは特定の宗教を信仰していたのでしょうか?
以前のエントリで「英語圏で一番良く読まれている詩人」と紹介しましたが、英語圏で読まれているものは、『ルーミー詩撰』のようにイスラミックとされる要素がそれほど色濃くはないものを編纂し直した引用集であることが多く、そのため宗教者というよりも文学者として親しまれている度合が大きいように見受けます。
冒頭に引用したのはルーミーの詩の一部とされているもので、これを根拠にルーミーは特定の宗教を持たなかった、すなわちイスラム教徒=『ムスリム』ではなかった、とする人々も中にはいるようです。『タルサ』はキリスト教徒、『ヤフード』はユダヤ教徒、『ガブル』はゾロアスター教徒の呼称です。
この詩を初めて英訳したのはR.A.ニコルソン教授ですが、ニコルソン教授自身は「ルーミーの詩句とされてはいるものの、私が所有する原典並びに信頼できる写本にはこの詩句を見つけることは出来なかった」と注釈付きで紹介しています。
私の命はコーランのもの
私の体は選ばれし者ムハンマドの歩む道を転がる石
もしもそうではないと言う者があるならば
私は抗議するだろう、それが誰であろうとも
これはルーミーの『四行詩集』の一節(1173行)からの引用です。ムスリムという言葉は出てきませんが、コーランはイスラム教の聖典、ムハンマドはイスラム教の預言者ですので、これをもってルーミーはイスラム教徒であったと考えるのが妥当でありましょう。
おいで、おいで
あなたが何者であろうとも
放浪者、偶像崇拝者、拝火教徒
何者であろうとも構わない
私たちは絶望のキャラバンではない
おいで、こちらへおいで
たとえあなたが千の約束を破ろうとも
それでもおいで、おいで
何度でもおいで
これもまたあまりにも有名なルーミーの詩句(とされるもの)です。一般に流布するイスラム教のイメージとはほど遠く感じられるかも知れませんが、同時にルーミーによる『精神的マスナヴィー』が、「ペルシア語のコーラン」もしくは「コーランの精髄」と呼ばれているのも事実であったりします。
おやすみなさい、良い夢を。