『少年時代』

マウラーナ ー その頃はジャラールッディーン、と呼ばれていたが ー はその頃5歳になったばかりだった。「それ」が起こると、いつもそうしているように彼は寝台の上に立った。

「それ」とは、ある種のヴィジョンのようなもので、ジャラールッディーンの意思とは全く無関係にやって来る。ヴィジョンは、時にはガブリエルのような大天使であったり、聖母マリアであったり、アブラハムやその他の預言者たちの姿のこともあった。共通しているのは、「それ」がまるで燃え盛る炎のように熱く、ジャラールッディーンの全身を内側からじりじりと焙る、ということだった。初めての時、ジャラールッディーンは全身を硬直させ、直立不動で「それ」に耐えた。「それ」が頻繁に起こるようになってからは、彼の父に付き従っていた弟子達が「なだめ、落ち着かせて」やる他になかった。

彼の父バハーウッディーン・ワラドは「学聖」とも呼ばれるほどの人物で、息子の「それ」を「神のみしるし」と呼んでいた。

閑話休題:本館の『ルーミー詩撰』を更新するたびに、ジャラールッディーン・ルーミーについて説明書きというか解説をした方がいいよなあ。とか、でもどこからどういうふうに説明したら良いのだろう。とか、いろいろ考えていました。

それで『精神的マスナヴィー』はまた別のかたちで更新することにして、『Manaqib al-Arifin』をここで読んでいくことにしました。

『Manaqib al-Arifin』とは『聖人列伝』の意です。ここで読んでいるのは、「アフラーキーのマナーキブ」と呼ばれるものです。ルーミーの幼年期から青年期のこと、生前に内輪の人々に向けて語った言葉や講義などを、マウラーナの孫であり弟子でもあったチェレビーの指示のもとに、やはりマウラーナの弟子だったアフラーキーが書いたもので、単に「アフラーキーのマナーキブ」と言えば、それはマウラーナ・ジャラールッディーン・ルーミーの伝記を指します。生前の彼を知る貴重な資料であり、以前訳した書籍の原著も、やはり「アフラーキーのマナーキブ」を参考文献の筆頭に挙げていました。

「アフラーキーのマナーキブ」は、資料であるばかりではなく、実際にスーフィー・ターリカなどで教科書として使用されている「日常的な読み物」でもあります。スーフィー・ターリカと言うと何やらおおげさになってしまいますが、私塾というか、日本風に言えば寺子屋的な学習機関で、道徳の教科書として採用されている、ぐらいの感覚で捉えた方があたっているかも知れません。

そういうわけで「アフラーキーのマナーキブ」を読みますが、本当に「読む」だけです。ちゃんと「翻訳」しているわけではなく、必要最低限通じる日本語にしているだけです。これもある程度「読み」すすんだら見直して、訳注は訳注で本文と切り離すなどしつつ、少しづつhtmlファイルにしていこうかな、などと目論んでいます。今夜読んでいるのはマウラーナの子供時代の頃の部分です。



マウラーナはバルフ(アフガニスタン)で生まれた。ヒジュラ暦604年ラッビ・ル・アッワル月6日、グレゴリオ暦1207年9月30日のことだ。「スルタン・ワラド(マウラーナの息子)から聞いた話だが」、と、シェイフ・バドルッディーン・ナカシュ・モウラーウィーが言うには、スルタン・ワラドは、彼の祖父すなわちマウラーナの父バハーウッディーン・ワラドの手による覚え書きを見たことがあるそうだ。それはマウラーナに関する覚え書きで、このようなものだった。


ジャラールッディーン・ルーミーはわずか6歳だった。その日、彼は同じ年頃の遊び仲間と一緒に、我が家の屋根の上に登って遊んでいた。遊びの最中に、子供のうち誰かが、隣家の屋根に飛び移ろうと言い出した。後で聞いたところによると、ジャラールッディーンは「動物じゃあるまいし。そんなことは、猫か犬にでもやらせておけばいい」と言ったらしい。その一言で仲間達はすっかりしょげて落ち込んでしまった。それでジャラールッディーンは言った。「もっといいことをしよう。みんなで飛ぼう、空高く飛んで天使たちに会いに行こう」言うなり、ジャラールッディーンは仲間達の目の前から消えてしまった。これには悪童達も驚愕し、屋根の上で泣き叫んだ。我が家の大人達はそれを聞いて何ごとかと外へ飛び出し、大騒ぎになった。

ジャラールッディーンが消え失せていたのはほんの数秒のことだった。再び姿を現したとき、ジャラールッディーンは青ざめ、少し怯えているようだった。ジャラールッディーンが言うには、「友達と話していたら、急に沢山の人々に取り囲まれていた。緑色のマントを着たその人々は、無言で僕の腕をつかみ、ぐんぐん空高く僕を連れ去ろうとした。びっくりしてなすがままになっていたら、友達の泣き声が聞こえた。それでその人々は、僕を元いた場所に帰してくれた」のだそうだ。

聖なる人によくあることだが、マウラーナは幼少の頃からほとんど食事らしい食事をしなかった。1週間に1度か、せいぜい3-4日に1度食べれば良い方だったという。

他には、このような言い伝えもある。


マウラーナの父、「学聖」バハーウッディーン・ワラドは、彼の息子について常々こう言った、「あれは本物の王子だ」と。つまり、彼の祖母シュムスル・アイマはシュムスッディーン・サラーフースィの娘で、「サイエダ」と呼ばれる預言者ムハンマドの血縁に連なる人々の一人であり、その系譜は四代カリフのアリーまで遡るのだった。また彼の母も、バハーウッディーンの曾祖母も、それぞれバルフの王侯の娘だった。そういうわけで、マウラーナは体に流れる血の意味においても、また精神の意味においても、「本物の王子」なのだった。

その他の言い伝えによれば、マウラーナは7歳になった頃から、コーランの章(※108章全3節)を繰り返し暗誦するようになった。


われらは汝に善きものを豊かに与えよう

それゆえ、汝の主に祈り、犠牲を捧げよ

汝を憎む者は善きものから疎外されよう・・・

暗誦しては熟考に沈む日々が続き、そしてある日こう言った。「心の中に、主の輝きと共に声が届けられました。『われらが大いなる主の名において。ジャラールッディーンよ、汝の心を不当に塞いでいた重圧は今まさに取り除かれた。光の扉は、おまえに向けすでに開かれている』。ああ、感謝せずにはいられません、私は終わることのない感謝を捧げ続けることでしょう。そして私とつながる人々に、これを教えることでしょう」。


主はその御手で世界に触れ、調律を施し
私という存在は、今やリラの弦となった
重荷は取り除かれ、阻むものは何もない
私はこの身を捧げましょう、友のために
私は道となりましょう、安楽へ至る道に