『緑の衣をまとう者』

伝えられるところによれば、父が他界して2年後、マウラーナはシリアへと旅立った。アレッポを訪れるのは初めてだった。彼はユダヤ教徒達が多く住む地区にある神学校に寄宿し、科学と神学を学んだ。彼の父の弟子達は、ここアレッポにも住んでおり、彼に会いにやってきては、あれこれと彼の世話を焼いた。彼はしばらくの間その町で過ごした。

アレッポの領主カマルッディーン・アディーム ー 思慮深く、敬虔で良く学ぶ人物だった ー が、マウラーナの後援者となった。マウラーナがいたく気に入ったようで、頻繁にマウラーナを訪れるようになった。彼がマウラーナを気に入ったのは、マウラーナが当代きっての最も偉大な学者として評判高かった人物の息子であったことが第一の理由だったが、マウラーナその人を知るにつれ、マウラーナ自身もまた知力を備えた人物であるということが分かってきた。マウラーナを指導した教師は、マウラーナの理解力の早さに感服しており、講義でも自然とマウラーナに集中して教示するものだから、マウラーナは群を抜いて成績優秀な優等生となっていく。その様子を見て、その他の寄宿生達がマウラーナを快く思うはずもなかった。

その他に伝えられるところによると、寄宿舎を統括する教師のもとに、しばしば寄宿生達からの苦情が届いた。苦情というのはマウラーナの生活態度に関することだった。寄宿生達によれば、深夜になるとマウラーナは自室を抜け出しどこかへ消えてしまうという。

マウラーナが夜間の外出をしているとの風評を耳にして、カマルッディーンが喜ばしく思うはずがなかった。彼は事実を突き止めようと決意した。そこである晩、寄宿舎を見張っていると、深夜近くになってマウラーナが建物を抜け出すのが見えた。カマルッディーンはこっそりと後を追った。アレッポ市街を区切る門の前まで来ると、門はひとりでに開いた。マウラーナは市街の外へと出て行く。辿っている道はアブラハムのモスクと呼ばれる古いモスクへと至る道だが、マウラーナがそれを知っているのかどうかは定かではなかった。

闇の中、後を追うカマルッディーンの目の前に、こつ然と白いドームを伴うモスクが姿を現した。モスクの内部は、正体不明の何者かで一杯だった。誰もが見慣れない緑の衣ですっぽりと身を包んでいる。それはカマルッディーンにとって生まれて初めて見る光景だった。この奇妙な一群が、マウラーナに一礼するのを彼は見た。あまりの異様さに、カマルッディーンの意識は混乱した。後は何が起きたのか分からない。気を失って彼は倒れた。

気がついた時には日も高く、空はすでに昼のそれになっていた。周囲を見渡すと、昨夜見た白いドームのモスクも、あの奇妙な人々も消え失せており、あるのはただ砂漠だけだった。

彼はそれから半日以上、夜の帳が彼を包み込むまで砂漠をさまよう羽目に陥った。それから2日と2晩、彼はさまよい続けたが、それは真の砂漠ではなく、彼の心 ー 異質なものへの怯え、不安、不信 ー が見せた、幻の風景であったかのも知れない。

カマルッディーンが姿を消して2日、彼の兵士達は彼らの主人の身を案じ、あちこちに捜索の手を差し向けた。兵士のうち誰かが、とある「素行不良の神学生」についてカマルッディーンが悩んでいたことを突き止めた。彼らは大挙して、この「素行不良の神学生」の許へ押し掛けた。

マウラーナは事態についてある程度予測していた。そこで憤る兵士達に、アブラハムのモスクへ行くように告げた。

兵士達が駆けつけたとき、彼らの主人は虫の息の態だった。渇きと飢えに散々痛めつけられた主人に、兵士達は水を差し出し食物を食べさせた。やっと人心地ついたカマルッディーンは、兵士達にどうやって自分の居所を知ったのかと尋ねた。あなたのお気に入りの神学生を問いただしたのです、と兵士は答えた。カマルッディーンは何も言わなかった。そして馬にまたがり、兵士達と共にアレッポまで戻った。

それ以来カマルッディーンはマウラーナをひとときも傍らから離したがらず、マウラーナを主賓に大勢の人々を招いては豪奢な夜宴をひらくようになった。それはマウラーナの意図するところではなかったし、こうした類いの集まりはマウラーナの最も苦手とするところだった。それでマウラーナはアレッポを離れてダマスカスに下った。

スルタン・アジーズッディーン・ルーミー・バドルッディーン・ヤフヤーは、彼の領内においてマウラーナを歓迎する旨を書き記した手紙をアレッポの領主カマルッディーンに送り届けた。アレッポの領主もダマスカスの領主に宛てて手紙を書いた。そこにはアレッポにマウラーナが滞在した間に彼が見た、マウラーナの精神的影響力について書かれてあった。




『Manaqib al-Arifin』とは『聖人伝』の意です。ここで読んでいるのは、「アフラーキーのマナーキブ」と呼ばれるものです。ルーミーの幼年期から青年期のこと、生前に内輪の人々に向けて語った言葉や講義などを、ルーミーの孫であり弟子でもあったチェレビーの指示のもとに、やはりルーミーの弟子だったアフラーキーが書き記したものです。