シャムス・タブリーズィという人物について

『マナーキブ』を読み続けています。

ここで読んでいるのは全編を通してではなく編集し直されたものなので、あちこち、話が飛んでいるようにも思えるかもしれません。またずいぶんと「きれいに」まとめてもありますので、読む方も色々と想像力を働かせながら読むことになります。

例えばシャムス・タブリーズィの失踪について。失踪後、マウラーナは『特別な衣装』を作らせた、とありますが、これは『喪服』を作らせたことを暗に示唆してもいます。

シャムスという人物との出会いが、マウラーナを詩作に目覚めさせたと言われているほど、シャムズは重要な人物なのですが、その生涯についてはほとんど知られていません。シャムスがどのような人物であったのか、という点についても、ここで読んでいる『マナーキブ』には具体的に触れた記述はあまり出てきません。

マウラーナの著作のひとつである『シャムス・タブリーズィ詩集』ー収録されるほぼ全編の詩の末尾に、シャムス・タブリーズィの名が繰り返し韻に織り込まれているという詩集がありますが、この詩集を英訳したR.A.ニコルソン教授による解説にもある、シャムス・タブリーズィに関するエピソードを紹介します。

シャムス・タブリーズィと聞いて、眉をひそめる者は少なくなかった。マウラーナが、何故この放浪者にここまで執着するのか、理解できる者はほとんどいなかった。例えばある日、シャムスは通りを歩きながら大声で言った。「神以外に神はなし。シャムス・タブリーズィは神の使徒なり」。人々はそれを聞いてあっけにとられるか、あるいは怒ってシャムスに抗議する。するとシャムスはこう答える ー 「まあ待て、私の名前はムハンマド・シャムス・タブリーズィというのだ」。

そしてこう独り言のようにこう付け加える。「多くの世人というのは、鋳型にはめ込まれ刻印を穿たれた貨幣になって、初めて金の価値を認める。だが鋳造されていない金塊を目の前にしても、それが金であるかどうかすら判断できない」

「神以外に神はなし」のくだりは、イスラム教徒のいわゆるスンナ派達の「信仰告白」にあたるものです。「神以外に神はなし、ムハンマドは神の使徒なり(『ラー・イラーハ・イッラッラーフ、ムハンマドゥ・ラスールッラーフ』または『ラー・イラーハ・イッラッラーフ、ムハンマドゥ・アブドゥフ・ワ・ラスール』)」という定型の文言です。公衆の面前で、イスラム教徒であれば誰もが知る信仰告白を大声で唱えながら、預言者ムハンマドの名を呼ばずに自分の通り名を呼ばわっていれば、聞き咎めて抗議する人がいないはずもありません。

シャムスはある日を境にコニヤから姿を消します。殺害されたと見るのが一般的なようです。時の為政者によるものだったか、あるいは直接手を下したのはマウラーナの弟子の一人であったとも言われます。