『シャムスの失踪』

さらに伝えられるところによると、神秘道における伝説的な存在である彼ら二人があまりにも近しく交わり、軽々と全ての限界を超えてしまったことが、以前からマウラーナに師事していた人々の嫉妬心に火をつけてしまった。彼らは口々にこう言った:「いったい何者なのか?かくも長い間、われらが師の心を奪い、われらが師の時間を占領するとは」
それでシャムスは姿を消した。何ヶ月も人々は彼を探したが、彼の姿を見た者は一人としておらず、また行方を知る者もいなかった。

その後マウラーナは、自分のための特別な衣装 − 変わったかたちの帽子と長衣 − を作らせた。それは前身ごろに縫い目がなく、上から下まで開いたローブで、古代の賢人が着用していたような衣装だった。彼はまた、それまでは4本だったヴィオルの弦を6本に作り直させた。そして6本の弦は、現世の「ある一面」を象徴しているとも言い、またまっすぐに伸びた弦はアラビア語の最初の文字であるアリフそのものであるとも言った。

アリフはまた、神を意味するアラビア語であるアッラーの、つづりの最初の文字でもある。それゆえにアリフは魂の最も中心に位置する。「それゆえに」、と、マウラーナは言った。「心ある者は魂の耳もて聞き、魂の目もて見よ − まっすぐに伸びた弦に隠された、アッラーのアリフを!」

そのようにして「儀式」は始まったのだった − 魂をゆさぶる音楽に「愛する者」たちは熱狂した。陶酔と忘我には分け隔てがない − 弱きものと強きもの、博識のものと文盲のもの、イスラム教徒と非イスラム教徒 − あらゆる国、あらゆる土地に生まれた人々が、マウラーナの喚起する美学に共感を示した。マウラーナを支持し、神秘詩を暗誦し、暗喩の歌を声高く歌った。彼らは昼となく夜となくそのように振舞った。嫉妬深い者たちや、タサッウフに反感を覚える者たちはこれを非難した。「なんと奇妙な!一体いつまで続けるつもりなのか?この騒擾に終わりはないのか?」

有り余る富と時を持つ者や、貴族・王侯出身の者が立て続けにマウラーナに「入門」した − それは熱狂の裏で行われる厳しい熟考と訓練によるものだったが − それまでのきらびやかな生活を次々と惜しげもなく投げ捨てるその光景は、常識的な人々の眼には狂気としか映らなかった。実際にある一人の王子は、過度の宗教実践と修行により常に忘我の状態にあった。そのため彼は表面上「狂人」以外の何ものにも見えなかった。だが実際に「狂った」のは、以前から預言者を罵っていた背信の徒たちであった。

言うまでもなく、これらは全てシャムスィ・タブリーズの影響だった。

「世の中の人々全てが彼を狂人と看做さないうちは、真の信仰者とは呼べない」というのは預言者ムハンマドの言葉である。マウラーナがついにその姿を現実に対して明らかにしたとき、神の恩寵を受け取った人々は彼を偉大な導師として受け入れ、彼の弟子となった。だがそうでない人々は、捨て去られたように感じた。神を知らぬ人々にとっては、全てが逆境となるのだった。そしてまたこうも言う ー 善き人は信用に値する。だが神を愛する者を恐れよ、彼らが恐れ知らずであるがゆえに。


『Manaqib al-Arifin』とは『聖人伝』の意です。ここで読んでいるのは、「アフラーキーのマナーキブ」と呼ばれるものです。ルーミーの幼年期から青年期のこと、生前に内輪の人々に向けて語った言葉や講義などを、ルーミーの孫であり弟子でもあったチェレビーの指示のもとに、やはりルーミーの弟子だったアフラーキーが書き記したものです。