『こっそりと戦場に参加する』

屠殺を生業とし肉屋を営むある男がいた。彼はマウラーナと同じくジャラールッディーンの名で呼ばれていた。『祝福のジャラールッディーン』とあだ名されるほど、最も古くからマウラーナの弟子の一人だった。機知に富み、情け深い男としてもよく知られていた。

もうひとつ、彼は仔馬を買ってきてはよく育てるのが好きだった。彼が育て、調教を施した馬を貴人達は喜んで買い受けた。彼の厩舎には、常に素晴らしい馬がずらりと並んでいた。

さて、伝えられるところによれば、ある日マウラーナは未知の何かから届けられたらしいヴィジョンを心の中に見た。それは世界を揺るがしかねない恐慌の訪れを告げるものだった。

「それ以来、40日だったか、あるいはそれ以上だったか」と、肉屋は言った。

「マウラーナはヴィジョンの解釈に没頭していた。ヴィジョンはまるで炎のようにマウラーナの心の中に燃え上がるらしかった。マウラーナときたら、その他のことは全くおかまいなしになっていた。普段は頭に巻いている大きなターバンを、腰に巻き付けて行ったり来たりしていた。そしてとうとう最後に、私を訪ねてきたというわけだ」

「あの日、マウラーナが私の家にやってきた。何かが欲しいらしいことは分かったから、私もすぐに出迎えた。マウラーナは私に、一番速い馬はどれだ、と言う。鞍を置くのに、マウラーナと私と馬とで大騒ぎだった。何しろ、厩舎中の馬が争って鞍を置かれたがるものだから ー あんなことは後にも先にもあの時だけだ」

「鞍を置くなり、マウラーナは馬に飛び乗ってキブラ(※この場合南の方角を指す)へと駆けて行った。私もマウラーナと一緒に行かせてもらえないかと頼んだが、マウラーナは『心でついて来い』と言った」

「夜も更けてから、マウラーナが戻ってきた。着ているものは汚れて、私の馬 ー 象の鼻息みたいになんだって吹き飛ばしてしまうほど凄いやつだというのに、すっかり疲れ果てて、想像もつかないほど衰弱しきっていた」

「次の日、マウラーナが再び私の家にやって来て、もっと速い馬はいないか、と言う。そしてまた同じようにすっかり疲れきった馬共々、夜遅くに帰ってきた。理由?そんなもの、私の知ったことか」

「三日目も同じだった。だがひとつだけ違って、マウラーナはその夜は夕刻の礼拝の前に帰ってきた。そして馬から降りると、満足げに座り込み鼻歌を歌い始めた」

「『幸いなるかな、幸いなるかな』 ー マウラーナは続けた、『地獄の番犬ども、再び地獄に還らん』。地獄も恐ろしいが、そんな歌を嬉しそうに歌っているマウラーナの方がよっぽど恐ろしい。そう思って、私は知らんふりをして何も尋ねなかった」

「それから数日後、シリアの隊商がコニヤに到着した。隊商の連中が言うには、モンゴルが攻めて来るというのでシリア中が大騒ぎだったらしい。モンゴル軍を率いていたのはハラク(※フラグ)・カーンで、以前には(※1257年)バグダッドに侵攻してカリフを殺し、アレッポを占拠したと言うじゃないか。それがダマスカスにも攻めて来たというわけだ」

「ところが、いざモンゴル軍が市街に押し寄せようという段になって、どこからともなくターバンを腰に巻き付けたダルヴィーシュが馬で駆けつけた。修行者とも思えない勇ましい働きだったそうで、それがムスリムの兵士達を大いに鼓舞したのだ、と言う」

「最後には、大過なくモンゴル軍は追い払われ、ダマスカスは戦勝に沸き返った。兵士達はもちろんそのダルヴィーシュに名を尋ねたのだが、名乗らなかったそうだ。せめてどこから来たのか教えてくれ、と言うと、『コニヤから』とだけ言い残して去って行ったらしい」

「 ー 『そういうわけで、そんなダルヴィーシュに心当たりはないかね?』そう言われて、やっと合点がいった。さっそくマウラーナにそのことを告げると、マウラーナは言った ー 『うん、まあ、そんなところだったかな』」

『Manaqib al-Arifin』とは『聖人伝』の意です。ここで読んでいるのは、「アフラーキーのマナーキブ」と呼ばれるものです。ルーミーの幼年期から青年期のこと、生前に内輪の人々に向けて語った言葉や講義などを、ルーミーの孫であり弟子でもあったチェレビーの指示のもとに、やはりルーミーの弟子だったアフラーキーが書き記したものです。