『金持ちの商人と西のダルヴィーシュ』1/2

伝えられるところによれば、長い旅路の果てに裕福な商人がタブリーズからコニヤにやって来た時のことである。彼は顔見知りの砂糖商人の館に滞在したが、その際に、コニヤに住まう聖者を紹介して欲しい、と頼んだ。聖者に会って挨拶をし、手を握り、布施をすることで神の祝福のお裾分けにあやかりたいと思ってのことだった。

あちらこちらを旅をする商人達は、滞在先では必ず聖者と呼ばれる人々に出会い、商売によって得た利益のうちいくばくかを布施とする。そうすることで、次に滞在する土地での商売の成功を、神と、神の友である聖者の力によって保障してもらえると考えていたのだった。

砂糖商人と彼の知人達は、コニヤには敬虔な「神の友」が大勢いる、と請け合った。中でも素晴らしいのが、シェイフ・サドルッディーンと呼ばれる聖者だ、と彼らは言った。宗教のことなら何でも知っており、神秘家としても立派な人物だと言う。

そこでシェイフの弟子の一人が、タブリーズの商人を案内することになった。シェイフの館へ向かう途中、弟子は「お布施として」20ディナールを商人に要求した。

タブリーズの商人は、シェイフの館に大勢の人々がひしめいているのを見た。彼らはシェイフの身の回りの世話や、シェイフの望むものを届けたりするためにそこにいるのだった。信心深いタブリーズの商人は、その様子を見て悲しくなってきた。自分はダルヴィーシュに会いたいのだ、君主ではなく、と彼は言った ー このようにかしずかれて、特別扱いを享受するような人物がダルヴィーシュであるはずがない。

彼をここへ連れて来たシェイフの弟子や、シェイフの周囲にいる人々は口を揃えて言った。見かけで判断してはいけない。シェイフは常人とは違った特別な心の持ち主であり、こうした特別扱いを受けても彼の心には何の差し障りもない。こってりと甘い菓子は、彼のように健康な心の持ち主にとっては何でもない ー 治療を必要とする私達にとっては害となるけれども。

何はともあれ、タブリーズの商人は偉大とされるシェイフの前に腰を下ろした。だが苦々しい思いは晴れなかった。彼は言った。 ー 私はいつも聖者と呼ばれる人々に布施をし、貧しい人々には喜捨を欠かさない。それでも、商売はなかなか思うようには行かず、内実ではいつも困窮に悩まされている。これは一体どうしたことであろうか?どうすればこの悩みから抜け出せるだろうか?

彼の打ち明けた悩みに対して、シェイフはこれといった解決の糸口を与えるわけでもなく、ただ頷いているばかりだった。それで商人は悲しい気分のままシェイフの館を立ち去った。

翌日、タブリーズの商人は「他の聖者を紹介して欲しい」、と、砂糖商人やその仲間達に言った。そしてこう付け加えた ー 商売繁盛よりも、私に精神の糧を与え、徳を高めるのを手助けしてくれる聖者はいないものだろうか。

「それならば、うってつけの聖者がいる」。砂糖商人は言った。その人物は15代に渡る学者の家系の末裔で、およそ学問以外には興味がないらしい。朝も夜も、礼拝と瞑想。そうでなければ、神秘道の修行に明け暮れているという。

「『マウラーナ』と呼ばれているよ。とは言うものの、訪ねたところで果たして会えるものやら知らないが。何しろ、私らには想像もつかぬ難しい問題を山のように抱えて、海よりも深く考えるのを日常としているとのことで、現世には全く興味がないようだから」 

おまえこそ、現世以外に興味がないのだろう。来世に興味があるのなら、こちらから出かけて会いに行けば良いだけのことだ。タブリーズの商人は鼻白んだが、素知らぬ顔で礼を言い、今度は50ディナールをターバンの奥深くにしまい込んで出かけて行った。

『Manaqib al-Arifin』とは『聖人伝』の意です。ここで読んでいるのは、「アフラーキーのマナーキブ」と呼ばれるものです。ルーミーの幼年期から青年期のこと、生前に内輪の人々に向けて語った言葉や講義などを、ルーミーの孫であり弟子でもあったチェレビーの指示のもとに、やはりルーミーの弟子だったアフラーキーが書き記したものです。