『赤く輝く眼』

伝えられるところによると、ある夜モイーヌッディーンの館で回旋舞踏が行なわれた。その夜は多くの知識人達、修行者達が参加していた。マウラーナもその集まりに参加していたが、彼は幾度となく恍惚状態に没入し、涙を流した。

それから彼は広間の隅に場所を移し、しばらくそこに立っていたが、やがて朗唱者に朗唱を終えるように告げた。それを聞いて、居合わせた識者達は何ごとかと不思議に思った。静寂の中、マウラーナはしばらく瞑想に沈んでいたようだったが、やがてうつむいていた頭を上げた。両の眼は血走って怪しく輝いており、まるで獲物を狙う鷹のようだった。そして言った:「友よ、来たれ!見るがいい、私の眼はもはや神の光以外には何も映さなくなった!」

だが誰一人としてマウラーナの眼を直視できる者はいなかった。なぜなら直視した瞬間に、視界はぼやけて立っていることすらおぼつかなくなってしまうからだった。弟子達は神秘的忘我の境地というものを味わうことに慣れておらず、彼らはただ声をはりあげて泣くばかりだった。

それからマウラーナはチェレビー・ヒシャームッディーンに眼を留めて言った:「友よ、来たれ、私の最も信頼する者よ。現世におけるわが親友、わが王、王の中の王。来たれ、私の側へ」。これを聞いてヒシャームッディーンは喜びと興奮のあまり体の震えがとまらなかった。そして感激のあまり彼もまた涙を流した。

後日になって、その出来事はアミール・タジュッディーンの耳に入った。ヒシャームッディーンに贈られた賛辞について、マウラーナは真実を語ったのか、それとも世辞を言っただけだったのだろうか?人々の憶測には留まるところがなかったが、そこへ偶然ヒシャームッディーンが通りかかった。ヒシャームッディーンはモイーヌッディーンにこう言った。

「マウラーナがああした言葉を私にかけたその時までは、私には何の価値もありませんでした。ですがマウラーナがそれを口にしたその時から、その言葉は私の一部となったように思われます。コーランにもあるでしょう、『神が在れ、と一言命ずればすなわち在る』、と。(※ヤー・スィーン章)」

「マウラーナが神だと言っているのではありませんし、彼の言葉は神の言葉ではありません。彼は彼の思うところを語っているだけで、何かに強要されたわけでもなければ、何かの説明を必要とするものでもありません」

それからヒシャームッディーンは古詩を引用した。銅は賢者の石によって金に変化すると謂われる。だが自分が銅であるならば、金に変化するよりも賢者の石に変化することを望むだろう。

それでうわさ話に耽っていた人々は、己を恥じてうつむく他はなかった。あの夜ヒシャームッディーン以外に、マウラーナの眼を直視できた者は誰一人としていなかったことを思い出したのだった。

『Manaqib al-Arifin』とは『聖人伝』の意です。ここで読んでいるのは、「アフラーキーのマナーキブ」と呼ばれるものです。ルーミーの幼年期から青年期のこと、生前に内輪の人々に向けて語った言葉や講義などを、ルーミーの孫であり弟子でもあったチェレビーの指示のもとに、やはりルーミーの弟子だったアフラーキーが書き記したものです。